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映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』
アルゲリッチ 私こそ、音楽!写真4月24日(金)ブルーレイ&DVDリリース!billing ショウゲート
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INTRODUCTION

ピアニストとして、母として、女性として、マルタ・アルゲリッチの人生とは

子供の頃から類稀な才能を発揮し、16歳で既に“生ける伝説”と呼ばれたマルタ・アルゲリッチ。麗しい美貌とは裏腹に、力強く圧倒的な演奏でたちまち世界中にその名を広げ、以降、約50年以上に渡りクラシック界の“女神”として君臨し続けている。しかし、スキャンダラスな私生活や気分屋で情熱的な性格は有名で「奔放な性格も彼女の芸術の一部」と称される。本作はそんな彼女のこれまで明かされる事のなかった演奏会の裏側、家族との姿、3人の娘たちの想い等、極めてプライベートな部分に迫り、核心を掘り下げてゆく。

三女・ステファニーが長編初監督にして挑むのは、“女神”である母とその娘たちの心の記録!

生まれてからマルタと一度も一緒に暮らしていない長女リダ。忙しい母の代わりに妹の面倒をみた次女アニー。そして、子供の頃から母をファインダー超しに見つめていた三女ステファニー。母と有名ピアニスト、両方のマルタを知る娘たちがそれぞれの出自を語り出す…。ステファニーは長編初監督ながら、一見深刻な主題をウィットに富んだ編集に軽いタッチを添えて見事に描きだした。更に、プロデューサーに『パリ・オペラ座のすべて』『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』のピエール・オリヴィエ・バルデを迎え、ドキュメンタリー史に刻む新しい形式の音楽ドキュメンタリーが誕生した!

アルゼンチン、スイス、日本…それは、マルタと共に巡る演奏の旅

企画・構想に3年かけ、プライベートな家族ビデオに加えて製作期間18カ月を費やし構築。“実の娘”のカメラは、生まれ故郷ブエノスアイレス、現住所のあるスイス、大分県別府市で毎年開催される「別府アルゲリッチ音楽祭」のある日本、フランス、ポーランド、イギリス、イタリア、ベルギー…と、様々な場所にいる彼女と周辺の人々を見つめる。一見、特別な母を持つ特別な家族の物語に見えるが、いつしか観ている人々はマルタと共に旅をしながら、試練に立ち向かい、対立し、絆を深めていく。やがてそれは普遍的な家族の問題と重なり、人々の共感をうむだろう―。
ステファニー写真

director 監督の言葉

私の母がこの映画の主人公である。この映画によって、母の様々な面が明らかになればと思っている。もちろん名演奏家であり、時には言葉よりも音符が多くを語ることもある。聖なるステージの怪物である母はスターであり、スターらしくあらねばならないのだ。
一方で、彼女は大人になりきれていない女性でもある。ステージでの緊迫感や直接性から離れると、常に迷いながら生きている。「本当の人生?それは他所にあって、こんなんじゃないわ…ほんの少しだけでも良くするにはどうしたらいいのかしら?」底なしの井戸のように、満足というものを知らない人なのである。そして自分の混乱、疑念の渦へ他人を巻き込んでしまう。巻き込まれた方はそこで迷子になってしまうのだが、当の本人はいつも簡単に出口を見つけるのである。
迷い、道を見つけ、ここはどこだろうと自分に問いかけてみる…。子どもの頃から私たちはそれぞれ色々な感情を経験し、その感情によってどうにかこうにか自分というものを構築しようと試みている。

“音楽界の巨匠を親にもつ娘”として生きるのは容易なことではない。自分を肯定するまでには、いわゆる普通の家庭の人たちよりも多くの障害を乗り越えなくてはならない。私は、家族との生活にあまり多くを割けない程の情熱に身を焦がしている、完全に規格をはみ出したお手本を見ながら育った。
家族が揃った夕食、公園遊び、母親との朝食…こういった思い出を数えるのにも、片手の指で足りてしまう。こんな平凡に思えることでさえ、私にとってはずっと夢の世界のことだった。1児の母となり、私自身が朝食を準備する母親になった今は、少し夢が叶ったけれど。
私が小さい頃、母の演奏旅行にはほとんどついていった。母が協奏曲を練習する夜は、そのピアノの音色を聞きながら眠りについた。これはとても融和的な関係で、特に長い間誰もふたりの関係に割って入ってこなかった分、強い結び付きとなった。母が演奏旅行について来るようにと言うので、学校には時々しか行けなかった。あまりにもあちこち連れ回されたので、ついに反旗を翻し、ある時私は自分のパスポートを部屋の絨毯の下に隠した。しかし母は、「あの子が来ないなら、私も行かないわ!」と叫んだ。私の責任は重大だったのである。 娘なら誰でもそうだが、私も母とともに全ての時期を過ごした。時には離れ、また傍へ行き、また反発してみる…。私は母との関係の本質について考えてみた。そしてこれが、この映画を撮るきっかけになったのである。私は与えられた役割ではない、ある種の感情的な影響力の外側にある私だけの役割を見つけなければならなかったのだ。
この作業においては、姉たちの存在がとても大きかった。姉たちのおかげで、明確な比較ができたからである。私たちは母と、それぞれ全く違う関係を築いている。私たち3人の娘は、強い母親という遺伝子をしっかりと受け継いでいるが、それぞれの母との関係は、母の全く違った面をくっきりと浮かび上がらせているのだ。
一方父は、私が子どもの頃にはほとんど一緒にいなかった。今になってやっと距離を縮めようとしているところだ。この映画は父にも居場所を再び与え、自分の定位置を見つけるよう、その背中を押すことにもなったのである。

幾重にも絡まる複雑な感情的つながりを掘り下げるこの旅で、音楽は、母マルタと父コヴァセヴィッチの最大の味方であり、豊かだが苦悩に満ちた彼らの内面の世界への扉を開けてくれた。彼らの演奏を聴き、彼らと音楽について語り合えば、彼らの情熱に直接触れ、心の奥底までたどり着ける。
 復讐劇のように見えるかも知れないが、本作は和解への試みであり、両親と対等に向き合い、彼らの世界へ飛び込み、また彼らを私の世界へと誘おうとする映画だ。
私は34歳、母が私を生んだ年齢である。自分を省みること、自分であることの証明、そして自分の限界への挑戦の記録を、どうぞしばしご覧いただきたい。 
(2010年の記録より)

ステファニー・アルゲリッチ (Stéphanie Argerich)

1975年3月17日 スイス・ベルン州で生まれ。スイス、アルゼンチン、ベルギー国籍をもっている。マルタ・アルゲリッチと、同じくピアニストのスティーブン・コヴァセヴィッチの娘。モスクワでロシア語を学び、その後ニューヨークのパーソンズ・デザイン・スクールで写真撮影について学んだ。パリでは、ビデオ撮影のトレーニングを受け、初の監督作品を手がけた。本作は、自身にとって初監督長編映画となる。
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マルタ・アルゲリッチについて

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マルタ・アルゲリッチ (Martha Argerich)

1941年6月5日 アルゼンチン ブエノスアイレス生まれ。
3歳で耳で覚えた曲をピアノで演奏し、5歳で本格的にピアノをスタート。8歳ではじめての演奏会を開催し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番などを人前で披露。14歳の時、ペロン大統領による奨学金でウィーンへ留学。16歳の時、2つのコンクール(ボルツァーノのブゾーニコンクールとジュネーブ・コンクール)で優勝を飾る。そして24歳の時、ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。その後、あらゆる著名オーケストラとの共演を果たし、現在は世界中で演奏活動を行う。98年に別府アルゲリッチ音楽祭の総監督に就任。05年には「第17回高松宮殿下記念世界文化賞」及び「旭日小綬章」受賞。
 

略歴

1941年
6月5日、母ファニータと父フアン・マヌエルの元、ブエノスアイレスで生まれる
1945年
弟のカシケが生まれる
1946年
ヴィンチェンツォ・スカラムッツァの元でレッスンを始める
1949年
モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」を人前で演奏
1955年
フアン・ペロン大統領の指示によりヨーロッパに渡る。ロンドン・ウィーン・スイスでザイドルホーファー、フリードリヒ・グルダ、ニキタ・マガロフ、マドレーヌ・リパッティ夫人、ステファン・アスケナーゼに師事。
1957年
ブゾーニ国際ピアノコンクールと、ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝
1959年
指揮者シャルル・デュトワと共演
1960年
ドイツ・グラモフォンからデビューレコードをリリース
1963年
ホロヴィッツに会いにニューヨークへ。作曲家ロバート・チェンと結婚。
1964年
3月28日、ジュネーヴでチェンとの子、長女リダ誕生。実母ファニータが託児所からリダを連れ出し、逮捕される。チェンと離婚。
1965年
ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。ポーランド放送局賞(マズルカ賞)受賞。
1966年
ロンドンで暮らす。スティーヴン・コヴァセヴィッチと出会い、交際、破局。
1969年
ウルグアイのモンテビデオでシャルル・デュトワと結婚
1970年
10月4日、ベルンでシャルル・デュトワとの間に次女アニー誕生
1972年
チャイコフスキー「協奏曲第一番」をデュトワと共演
1974年
デュトワと離婚。コヴァセヴィッチと同棲。「夜のガスパール」を録音
1975年
3月17日、コヴァセヴィッチとの間に三女ステファニー誕生(コヴァセヴィッチとは未婚)
1978年
ヴァンス音楽祭でミッシャ・マイスキーとアレクサンドル・ラビノヴィチと出会う。
1980年
ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで審査員を務めるが、辞退。イーヴォ・ポゴレリチ事件
1982年
ネルソン・フレイレと演奏会
1983年
ミシェル・ベロフと交際
1984年
ベートーヴェンのピアノとヴァイオリンのためのソナタ全曲をギドン・クレーメルと録音
1987年
ベロフと破局。アレクサンドル・ラビノヴィチと交際
1989年
母ファニータ死去
1992年
長女リダに娘誕生、メラノーマ(皮膚がん)が見つかる
1995年
別府アルゲリッチ音楽祭始まる
1996年
コペンハーゲンでヴィオラ奏者となった長女リダと共演
1997年
メラノーマの手術
1998年
別府アルゲリッチ音楽祭総監督就任
1999年
ブエノスアイレスでマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクールを創設
2000年
カーネギーホールでソロ・コンサート、父フアン・マヌエル死去
2001年
ブルーシア=ベルガモ“アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ”国際ピアノフェスティバルから第二回アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ国際賞授与
2002年
スイス、ルガーノ・フェスティヴァル「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」開催
2005年
日本で「第17回高松宮殿下記念世界文化賞」及び「旭日小綬章」受章
2010年
第16回ショパン国際ピアノ・コンクール審査員
2014年
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭にてギドン・クレーメルらと演奏
写真家族

cast 出演者

スティーヴン・コヴァセヴィッチ (Stephen Kovacevich)/ステファニーの父

写真スティーヴン・コヴァセヴィッチ
1940年10月17日 カリフォルニア州サンティエゴ生まれ。ピアニスト。
ステファニーの父。マルタとは別のふたりの女性との間に生まれた3人の息子がいる。18歳のときに故郷カリフォルニアを離れ、音楽の勉強を続けるためにロンドンへ渡り、現在に至る。
よく「私はそんなに幸せな人間じゃないんだよ」と言っていた。どちらかというと孤独で、生まれ変わったらテニスプレーヤーになりたいと言いつつも、音楽に全てを捧げてきた人である。父も、特にベートーヴェンとブラームスの演奏において評価の高い名ピアニストのひとりである。そもそも母が父に恋をしたのは、父がベートーヴェンの協奏曲第2番を演奏しているのを聴いた時である。しかしこのような恋愛では、愛しているのは音楽なのか演奏者なのか分からずに苦しむことになる。父の苦しみは日常的な宿命となってしまい、本当の感情を押し殺して完全に道化を演じるようになってしまった。
私は父と一緒に暮らしたことはないが、それでも父が恋しいと思う。私が恋しいのは、父と一緒に笑った日々だ。笑い、それは私たちのコミュニケーションの手段であり、救命ブイでもあったのだ。

リダ・チェン (Lyda Chen)/長女

写真リダ・チェン
1964年3月28日 ジュネーヴ生まれ。ヴィオラ奏者。
母と、中国人指揮者ロバート・チェンとの間に生まれた。母たちはニューヨークで出会ったが、一緒に暮らしたことはなかった。リダが生まれた時、母はまだ22歳で、少し混乱していた。そして、母方の祖母であるファニータは大変明るい女性だが、精神的な問題を抱えており、乳児院にいたリダを誘拐してしまった。母は、自分の母親を刑務所に送るか、娘の親権を失うかという、辛い選択を迫られる。そして母が選んだのは後者だった。だが状況はどんどん悪くなり、リダは乳幼児期の数年間を養子として過ごすことになった。
リダは母と暮らしたことは一度もないが、娘たちの中で唯一プロの音楽家になった。法律の勉強を終えたのち、ヴィオラ演奏家になることを決意する。恐らく、音楽を通じて母と再会し、子どもの時にはなれなかった母の娘になろうとしたのだろう。現在、母と定期的にコンサートで共演している。
リダと私は一緒に育ったわけではない。彼女が18歳(つまり私は7歳)の時に初めて会い、そのエキゾチックな美しさに魅了されたのを覚えている。
現在2人の子どもとともにジュネーヴに住んでいる。

アニー・デュトワ (Annie Dutoit)/次女

写真アニー・デュトワ
1970年10月4日 ベルン生まれ。ジャーナリスト。
母とスイス人指揮者シャルル・デュトワとの間にできた娘。私たちはロンドン、そしてジュネーヴで一緒に育った。インドのプネー大学の物理学教授の夫とともに、インドで2年暮らしたが、2人目の男の子を産み、現在はアメリカのアリゾナ州に住み、アリゾナ州立大学の教授を務めている。1930年代の文学、政治学、ヨーロッパ文化史を主に専門とする。
アニーは全くじっとしていられない性分である。ニューヨークからブリュッセル、インドのプネーからブリュッセルに引っ越したのも含め、8年間で10回引っ越している。コロンビア大学で文学の博士号を取得したが、それを全く生かすことなく、「論文が終わっちゃったから、今は一体何をしていいのか分からないのよ」などと言っている。
彼女の心配性なところはよく他人に伝染するのだが、大体私が不安になり、自問自答する羽目になるのである。
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music 劇中で使用された主な楽曲

  • セルゲイ・プロコフィエフ /ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26. 第1楽章
  • モーリス・ラヴェル /夜のガスパール 第1曲「水の精 オンディーヌ」
  • ロベルト・シューマン /交響的練習曲 作品13. 第12曲
  • フレデリック・ショパン /ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品.11 第1楽章
  • フレデリック・ショパン/ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品.53「英雄」
  • ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/ピアノソナタ 第28番 イ長調 作品.101 第3楽章
  • ピョートル・チャイコフスキー(ニコラス・エコノム編曲)
    /組曲「くるみ割り人形」 作品.71a 2台ピアノ 第3曲「こんぺい糖の踊り」
  • フランシス・プーランク/2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 第1楽章
  • ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト/ピアノソナタ 第15番 ハ長調k.545 第1楽章
  • フレデリック・ショパン/ワルツ 第6番 変ニ長調「小犬」
  • モーリス・ラヴェル/水の戯れ
  • アルベルト・ヒナステラ/「アルゼンチン舞曲」より 第1曲「年老いた牛飼いの踊り」
  • ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品.19 第3楽章
  • ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/ピアノソナタ 第23番 ヘ短調 作品.57「熱情」 第1楽章
  • モーリス・ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調 第2楽章
  • ヨハン・ゼバスティアン・バッハ/パルティータ 第4番 ニ長調 BWV828 アルマンド
※一部抜粋